ガンと生きる

ガンと生きる私流 要約 松尾倶子 編著   せせらぎ出版

第一章 青葉の会誕生物語

51才の時たまたま受けた検査でスキルス性胃ガンで余命5ケ月位と宣告される。手術2日前外出許可をとり、クロコダイルのバックが売れ、達成感と喜びからガンのことは心から消えた。手術から2日目にベットから降りる練習、5日目で歩く練習,10日目には病院内を歩く。

術後4週間目に退院。一週間後には店に出た。3年後ホノルルマラソン完走。抗がん剤は使用していない、びわ温灸と尿療法のみ実施。

胃は4/5切除、胆嚢、脾臓、十二指腸の一部をとりました。

『外科医としてはなるべく少なく取って、大きな効果を挙げるのが望ましい、転移して再発したらまた取ればいい、特に大腸ガンなどは取ったほうが良い。肝臓や肺への転移なら基本的に手術が良いが、胃ガン、乳がん、膵臓ガンなどから肝臓や肺に転移したものは、そんなに成績がよくない。

医者との信頼関係が築けない医者なら特にセカンドオピニオンを受けるべきです。陽子線や重粒子線は効果が高いが適材適所で選ばねばならない。』
ヒイラギの会に入会、富士登山、ホノルルマラソン後取材があり、福岡で患者の会を立ち上げると宣言、ヒイラギの会福岡支部として25名集っまって発足、一年後青葉の会に改名した。12年前のことであり現在290名です。

活動はグループ単位で、薬膳料理を基本として食を実践する人参グループ。
丹田呼吸法を実践する鉛筆グループ。野山を歩いたり登山をする山彦グループ。他に医療グループやコーラスグループもあります。年に一回講演会。年に一回一泊セミナーを開催しています。

『1982年漢方、気功、鍼灸が出来るホリステック医学(体、心、命丸ごと一本のものとして捉える医学)を目指し帯津三敬病院を設立した。患者がその治療法を信頼し、医者もその治療法を信頼し、さらに患者と医者の間が信頼の絆で結ばれている、これが医療の基本です。

主治医を信頼出来ないと思っている時の治療は何であれ止めたほうが良い。心から信頼していないと絶対に駄目。
「慌てない、焦らない、諦めない、希望がもてます、楽しみながら克服しませんか」臓器と臓器、組織と組織、細胞と細胞の間に見えない繋がりがある。

西洋医学と自然治癒力を高め「癒し」を目指す医療と統合して医療者の関係性を常に限りなく高めていくことが必要だ』

第二章 私の足跡

昭和20年6月仙台市で生まれる。4男2女の末子として育てられる。小さいときから負けず嫌いでやることは男の子の遊びが主でした。中学三年のとき父が死亡。母は百歳まで生きる。外資系の製薬会社に社長秘書として勤務、ここで会社の業務で表に出せない現代医療。

薬の功罪の裏の裏を知るこことなる。子供に夢を持たせるために手作りでサンタクロースを主人にさせ、好評で近所にも波及、教え子などに手伝わせて33年間続けている。自宅でのコンサートも好評でこれも続けている。継続は力、青葉の会の活動にも当てはまる。講演会など思いを伝えることで何時の日か結果がついてくることを、教えられました。

インテリアの店に17年勤め、閉店後『(有)セレクション松尾』を開業。半年後51才の時にガン、このままだと後5ヶ月という宣告を受け、奈落に落ちました。入院は公表しない、外国に出張していることにする。要望・注文は可能な限り受け、病院から対応する。入院中の心得、過去は振り返らない。愚痴らない。薬、鎮痛薬は極力使用しない、頼らない。抗がん剤は打たない、飲まない。食事は油、塩分、糖分を控える。

病院食は摂らず、主人に指示して食材を買い、調理。特に野菜の煮物、蒸し物。新鮮な小魚などで乗り切る。術後2日目から部屋で歩く。5日目から点滴台やチューブを持ち1階から5階まで上り下り。1ヵ月足らずで退院、一週間後復職。一年後の検診で異常なし。退院後の心得。情報に振り回されない。自分の体の状態にあった生活パターンを考える。人と比較しない。

出来るだけ体を動かし自分にあった運動を見つけ、継続して行う。油、塩分、糖分を見直し、小豆と玄米と菜食を心掛ける。ガン仲間の治った人の話を聞く。治ったら何をすると目標を持つ。体を冷やさない。自分に出来る呼吸法を身につける。

飲尿療法(朝・夜200cc)、びわ温灸、びわの種一日3ケを食べる。コンニャク湿布(肝臓、丹田、腎臓にびわの葉とともに当てる)時間の許す限り歩く、丹田呼吸法を一日2回行う。
福島市、石牧市を4~5ケ月に一回訪問し支援物資やカンパを届けている。

釜山の韓方医療見学ツアーも有意義で、再訪問も出来た。
これらの体験も私にとって効果があったやり方が他の人にも効果があるとは限らない。最後は自分で考え判断するしかありません。自分が自分の主治医と言う気概を持って取り組まれれば道は開けてくると信じています。

第三章 ガンをどう捉え、どう克服するか

がん患者に伝えたいこと...
新潟大学名誉教授安保徹CT検査、MRI 検査、腫瘍マーカー各種でガンの診断は格段に進歩しています。日本で一年間にガンと診断される人が65万人、亡くなる人が30万人くらいです。

ミトコンドリアは有酸素下で働き、37℃以上の深部体温で活性化しています。体が低体温、低酸素になるとミトコンドリアを削る反応が起りがん化して行きます。

低体温、低酸素を作るのは忙しさや心の悩み、忙しかったら休み、悩んだら其処から逃れる工夫をすると、 解糖系反応は自然に抑制されガンは自然退縮するでしょう。

早期発見が熱心に行われると自然退縮前にがんが発見され、発見そのものが大きなストレスとなり低体温、低酸素の体調を作り、ガンが増え続ける社会が出来たと思われます。
ガンが消えていく過程は、ガンが進行する過程と逆の過程をたどっている。

悪性度の高いガン→普通のガン→早期がん→良性腫瘍といった過程で、今まで考えられて来た様な絶対的な悪で体を破綻させる存在と言うガンに対するイメージは当てはまらない。

12億年前の地球で生まれた解糖系生命体にミトコンドリア生命体が寄生して真核生物が誕生した。酸素が地球に出現したのは、光合成細菌が生まれ、老廃物として酸素を大気中に放出するようになってからで安定した寄生が成立しなかった。

ミトコンドリア生命体が分裂抑制遺伝子を持ち込んで、解糖系生命体の分裂を止めたり遅くしたりすることを可能にした。私達真核生物は、ミトコンドリアの多い細胞は分裂できず、ミトコンドリアの少ない細胞だけが分裂を許されています。

解糖系は33℃が至適体温で、ミトコンドリア系は37℃が至適体温です。解糖系は糖しか利用できないが、ミトコンドリア系は解糖系で使い終わった乳酸を使うほか、脂肪を使うことが出来ます。
必要な瞬発力は解糖系に依存し、交感神経が緊張し、血管が収縮し、低体温、低酸素、高血糖の内部環境が作られます。

この状況は危険が去ると元に戻るはずですが、人間の場合ストレスを抱えながら無理を続けることもあるでしょう。もしその人が低体温、低酸素、高血糖が続くことになると、この条件で生きるための細胞の適応反応が起ります。

そもそもミトコンドリアの分裂が少ない細胞の中からミトコンドリアを削る反応が起る、これが発ガンのメカニズムです。発ガン物質や遺伝子の異状によって出現すると考えられてきましたがこれは少数で、ガンの大部分は無理な生き方で起る病気なのです。

第一は、ガンと診断された人の頭は恐怖や不安で一杯になり、交感神経を刺激して低体温、低酸素、高血糖の内部環境を助長します。今までの生き方を見直す、仕事を減らしたり、悩みを取り除く計画を立てることです。

第二は考えも見直すこと、人を許せない、あれだけは譲れないなどなど強い思い込みが、生き方の無理や脅迫感情を招いている。感謝することです。

第三は体を温めること、軽い体操をして血行を良くする。数回続けて深呼吸をしましょう。第四は食事の工夫です。肉類を裂け、野菜や魚中心の伝統的日本食が良い。
ストレスの最大のものは忙しさと心の悩みですから無理をしない、常時筋肉を鍛え、学習を続け頭を使う。運動不足、学習不足、降圧剤の使用が血流を低下させ、生きる力を奪います。塩分の控えすぎも活力を低下させます。

笑いは最高の抗がん剤

命の落語家 樋口強
岩手での「樋口強命の落語講演会」を松尾さんが聞きに来られ、満席で熱気にあふれる会場やガンの仲間たちが輝いている様子を確かめ、福岡での落語講演会を青葉の会正式の発足の3ケ月前に企画され、首の骨までに及ぶがん患者の西川さんが、「笑いは最高の抗がん剤を知ってもらいたい。ガンの仲間と家族、それが笑いと笑顔で繋がっている、そんな講演会にしたい」そんな気持ちが伝わって福岡での講演を引き受けました。

この西川さんの情熱に心うたれ2時間笑いっぱなしの舞台をやろうと気持ちが固まりました。皆さんの強い後押しがあり3年続けて行いました。

私はガンになって19年経ちました。治療で入院している時、妻から「何かして欲しいことある」と私の辛そうな姿を見て言いましたから「気を使わないで今までどおり付き合って欲しい」と頼んだら「分かった」と一言言ってそれを実行してくれました。本人よりも家族のほうが辛いと今になって思えるようになった。ガンと知ったとき「どうして私が」「なぜ私が」と言う自問です。

いつの間にか次第に暗い世界に入り込み、孤独の迷路をさまよい始めます。なかなか抜け道は見付かりません。誰も何も信じられなくなった。その時に「こっちだよ」と明かりを灯してくれるものがあるんだと感じたとき、理屈では説明できない力が体の中から湧いてきます。肩の力が抜け、笑顔が戻ってくるのです。八方塞の時に背中を押してくれたのが笑いや笑顔でした。

あなたが変わればがんも変わる、人生も変わる

日本笑い学会副会長・医師 昇幹夫
胃腸は心の鏡、皮膚は心模様を表す。「ガン、即、死に至る病」と言う思い込みが不安を増幅して免疫力を低下させる。ガンをはじめ生活習慣病はその原因を改めなければよくなりません。原因は頑張りすぎ。食の問題、一番大きいのが心の持ち方です。


ガン教育は子供から   日本対がん協会会長  垣添忠生
子供たちを教育することによって、親たちは、子供が熱心に説く噛みタバコ,喫煙などが健康へ影響することを理解し、納得して禁煙するようになった。

一種のしつけの様に知らず知らずのうちにがんや人の命のことを学び、それを家族と話し、親にも働きかける機会に繋がれば素晴らしい。力を結集して国のがん対策を補完することが出来れば、血の通ったものとなるでしょう。

活動に心打たれ会員に

内科医院長医療アドバイサー  石井文理(西式健康法)
「あおば通信」は自然療法を求めている当院と同じ治療法が随所に見られ。玄米菜食の素晴らしさを再認識した。がんの原因は血液中の一酸化炭素なのて、これを減らすために温冷浴、裸体操、朝食廃止、青汁飲用、腸洗浄、水酸化マグネシウムやビタミンC摂取、断食等を実行してください。温と冷を交互に行い、最後は冷で終わる。温冷により 動静脈吻合を活性化させ血流の循環を良くすること。

自然治癒力の再評価こそ医療改革への道標

ホリスティック経営コンサルタント 寺山心一
腎臓がんで余命2ヵ月との告知を受け、自然治癒力を高める努力の結果3年半でがんは消失、30年後も再発することなく経過。がんは今までの悪い生活習慣を正しい方向に変えることで治癒していくことが出来る。死を恐れるという感情、誰にでも訪れる死を素直に受け入れることで心が安定する。さらに心の意識から精神、魂、神、空、無の意識へと高まっていくに従い本当に愛と言う意味がわかり、ありがとうの本来の意味が腑に落ちてくる。

師匠のような人

いきいき健康長寿研究会 春名伸司
41歳のとき中咽頭がんⅣ期を宣告され、自分の生活習慣を顧みると多くの原因が見事に浮かび上がった。暴飲暴食、不眠不休、頑張りすぎ、ストレスまみれ、笑わない、過度の緊張感、怒り、不満、自己否定、全て人のせいにする、コンプレックス、妬み、ひがみ、生きるためには不要な思いを全部捨てた。結果的には手術は受けたが、他の治療は一切断り、5年間やりした。再発も無く15年経過している。自分の体験と気功を教えている。 運ではなく自分の覚悟次第である。

第四章青葉の会の活動


2004年第一回講演会を樋口強氏の落語講演会で開催、初回500名以上の大成功、三年連続開催した。以後毎年開催している。第七回は国立がんセンター名誉総長、垣添忠生氏に依頼。先生は最愛の奥様を末期がんでなくされ「妻を看取る日、国立がんセンター名誉総長の喪失と再生の記録」を読んで感動。講演を依頼した。懇親会で参加者一人ひとりにスピーチを求められ、お互いの立場を尊重しながら、よりよきガン治療の方向性を共同開発していきたいというアプローチを感じました。第八回は青木新門先生。生と死は表裏一体と言う捉方で考えて行く、視野を広げてみたり、固定観念に捉われない柔軟な発想をすることが患者に求められている。死と言うテーマを真正面から扱われた。
食と医を考える一泊セミナーを年一回開催。毎回30~40名参加している。一日目食の講話、自己紹介、体験談、質疑応答、自由時間。2日目部位別のグループに別れ治った先輩が治すコツなどを伝授したりする。
グループ活動。医療グループ活動は総会後の交流会、新春交流会、一泊セミナーでの部位別ミーテング、地区別交流会。他者に寄り添う心でゆっくりと話を傾聴し情報交換もしっかりと行う、のんびりとした雰囲気で交流できる場になっている。
にんじんグループは料理教室及び復習に勤め、学んだ事を食卓に生かして免疫力を上げ、自分自身の持つ自然治癒力を強いものにして健康の回復と維持へとつないでゆくことを願っている。自助療法としてびわ温灸、コンニャク湿布、砂浴などにも取り組でいる。
やまびこグループは体力に合わせて無理をせずに自然と触れ合い、自然な空気を吸いストレスを発散し、免疫力を高めるところにある。活動の1つは純粋に山登りを目的とする活動である。食べられる山野草の学習、薬草摘みなど。
えんぴつグループは絵手紙教室のほか読書、短歌、俳句等折に触れ行っている。月2回丹田呼吸法の時間が持たれるようになり、気功法を年間を通して続けている。
コーラスグループは毎月一回童謡、唱歌、抒情歌などを二時間ほど楽しく練習しています、
会報「あおば通信」は年4回、B5判十ページで発行しています。新入会員の自己紹介や入会の動機。行事やグループ活動の紹介。感想。医療の専門家の寄稿などで構成しています。
清水紀子
何時でも何所でも緩和ケアが受けられるようにし、患者の苦痛を軽くすることで前向きに過ごしていくためのお手伝いが出来たらと考えています。
松尾倶子 今自分にとって何が必要か、あれもこれもしたという結果ではなく、これで行くという自分のやり方を掴み取り、継続させること。読者会員として札幌の人もいます。

第五章 私はこんなふうにがんを克服した

若狭信之79才
1981上顎洞腫瘍で左眼球摘出、左全上顎、歯茎も摘出、手術の成功率50%といわれて手術。術後声が出ず話が出来ない。退院二週間前に社長から職場復帰を皆で待つとの電話が私の人生を支えてくれた。
定年まで勤め、福岡へ。病気をがんとして受け止めるだけでなく、本当の人生の友人をもらったと思っている。過去は振り向かないで前向きに生きなさい、足元の花からも応援のメッセージを感じ取る余裕があれば、強く生きて行ける希望も見えてくる。

黒瀬敏雄66才
12年前腎臓がんと心筋梗塞が見付かり手術とバイパス手術を受ける。二年後大腿骨に転移、再手術、再々手術で腰から膝関節までチタン製の人口骨。
今の状況を大変だとは思っていません、むやみに深刻にはならない、悩まないと決めています。恐れないこと、絶対に治る、焦る事は無いと単純に考えるようにしています。

相部美由紀52才
2008卵巣がんで三大療法を受ける。職場復帰して2ヶ月後再発。再発と孤独感と絶望感など一杯だったが「再発なんか皆しているんだよ」との言葉で皆乗り越えてこられたんだと確信し入会。気持ちが安定し、積極的に自助療法、セルフ治療に取り組む。玄米を中心とした自然食、人参ジュース、びわ温灸、丹田呼吸法を続けています。

久江和代68才
直腸ガン。放射線と抗がん剤で治療し、体力が回復し半年後に手術を受ける。一ヵ月後縫合不全で再手術。 食生活の改善、びわ温灸、呼吸法、漢方薬、民間療法を交えて生活の一部としている。骨盤内に再発、重粒子線治療に取り組むことが出来た。
迷いながらも何かを選び前に進んだ結果のような気がする。精一杯生きること、気持ちをうまく切り替えていくことの大切さを学びました。

岡田隆典75才
71歳のとき直腸ガンステージⅣの宣告、10cmに達しており、永久人工肛門になる。半年後肝臓に転移、その後肝臓転移、再度肝臓転移、そのつど切除。気功教室に参加して丹田呼吸を経験する。今度は肺に転移で治療不能と宣告され転医、九大にて手術成功。自己治癒力に頼る、丹田呼吸法を取り入れ、散歩、水泳、山歩き、読書、パソコン競馬など毎日を楽しく充実させ、夕食には晩酌も行い〚最後の晩餐〛を楽しんでいる。

岡田美津代55才
2012乳がん、X線のピンポイント照射を選び、がんを人生のリセットと考え「残りの命は半年」のつもりで人生の総括をする。人間関係に心残りがなくなったので、次は余命を一年と長くして、行きたい所や見たい場所、挑戦したいことを実行。命の長さでなく今日この一日を明るく楽しく感謝しながら生ききれればよい。

藤本倫子92才
大腸、胆嚢、胃のポリープの手術、50才代で子宮ガン切除。2013、13年ぶりにS状結腸癌発症。
私は今なお元気にしています。どんなひどい病気でも自分を落ち込ませないでいつも前向きに頑張ってください。



第六章他の団体との交流

ヒイラギの会 小形俊子
夫が1991胃ガンになり、患者同士の励まし合いが不可欠と〚ヒイラギの会〛設立。私も肺ガンを手術
入院中に1998松尾倶子さんがヒイラギの会に入会。会のトレーニングは月に一回福島の山を中心に訓練、高い山へと移行し富士山など登りましたが、松尾さんは毎回福岡から参加されました。

夫の形武は2010肺ガンに転移4ヶ月後東日本大震災の二週間前に亡くなりました。

遺した教訓は
① 適度な運動をする。
② 食事を改善すること
③ 生きがいを持つこと。
④ ストレスを溜めないこと。
⑤ 常にプラス思考で強い気力を持つことです。


いずみの会代表中尾守正

スローガン
① がんの常識を捨てる
② ガンになった原因に気づく
③ 心の絶大な治癒力を知る
④ がん性格を変える
⑤ 玄米菜食を徹底する
⑥ 自分にあったメニューにする
⑦ 体を冷やさない
⑧ よく眠り規則正しく暮す
⑨ お金をかけずに治癒を目指す
⑩ 散歩する
⑪ 焦らずに続ける
⑫ 家族は全面的に協力する
⑬ 三大療法にすがらない
⑭ 最先端治療もあてにしない
⑮ 五年生存も余命宣告も信じない
⑯ 引きこもらない
⑰ 先輩の話を素直に聞く


自分のがんを知り、敢えて言うならば、がんがあってもとにかく生き抜く。
平野耕吉
「養生塾ゆふいん」を開設.
あおばの会の皆さんは病を受け入れ向かい合い、積極的に自分で自然治癒力を高める養生法を実践し生命のエネルギーを高めておられる。

あとがき
治る力は自分の中にある。そのためにはまず自分の生き方を変えなさい。
衝撃的ながん告知を受けた方の気持ちが軽くなったと思える場を提供し、共に考え学びあう。
今後も福岡の地で活動してまいります。